2007年6月26日火曜日

心の中の小さな声

去年の夏、ラブ エンド ロジックの トレイナーになるための講習に参加したとき知り合ったゲイルさん。大きくてキラキラした目が彼女の優しい人柄を感じさせた。一言でいえば、”アメリカの肝っ玉かあさん”という感じ。毎日席を隣り合わせているうちに、自然と休憩時に話をするようになった。彼女はコロラド州のある町で、ラブ エンド ロジックを教育信念とする幼稚園を経営している。 彼女の幼稚園で働く保育士全員が ラブ エンド ロジックのトレーニングを受けている。ゲイルさんには 現在 カルフォルニアの大学に通う息子さんがいる。 次の講義を待つ間、その息子さんの話をしてくれた。地元の高校を卒業し、親元から離れ、初めて一人暮らしを始めた息子さん。 ある日、その息子さんから彼女のもとに夜おそく電話がかかってきた。 『ふだんは そんな時間に電話をかけてこないから、何かあったんじゃないかって、胸がどきどきしたわ。』話をしながら、彼女の大きな目が 一段と大きくなった。どきどきして電話に出ると、興奮気味の息子さんがこう言った。『今日 大学で大きなパーテイーがあって、、、 大変だったんだ、、、事故にあって、、、友達が、、、。』 その話をするゲイルさんの口調も 少し早口になった。『それでとっさに ”あなたは 大丈夫なの? いまどこにいるの?”って 聞いたの。そしたら、彼こういったの。 ”ママ、僕は大丈夫だよ。 怪我をしたのは 僕じゃないんだ。 友達のランデイー。 僕も誘われて、少し迷ったけど、みんなかなり酔ってたし、こんなんで車に乗って どんなことになるかって考えたら、行けなかった。” このとき、思ったわ。 ラブ エンド ロジックで子供たちを育てて本当に良かったって。』 彼女の話の後、私の目からとめどなく涙がでて来た。私は決して泣き上戸ではない。でも、なぜか 自分でも驚くくらい 涙が出てきた。そんな私を見て、ゲイルさんは『いろんな人にこの話をしたけど、こんなに感動されたのは初めてだわ。』と言った。そう言いながら、彼女の目もかなりうるんでいたのを覚えている。 
子供はいつか大人になって、親の手元から離れて行く。 守りたくても守りきれなくなる時が来る。そんなとき、親の目、親の声が届かないところで、いろいろな選択をせまられたとき、心の中の小さな声が、”こんなことをしたら、どんなことが起こりえるだろう” と 問いかける。 この小さなささやきが、生死を分けることだってある。 この心の中の小さな声を聞きながら、人生のいろいろな場面で正しい選択が自分でできる人間に育てることが ラブ エンド ロジックの願いなのである。

2007年6月25日月曜日

ラブ エンド ロジックとの出会い

3年ほど前、私の日本語のクラスにS君とK君という一卵性双生児の学生がいた。 あまりにも似ているため廊下であっても私はどちらがどちらか全く見当がつかないのは勿論のこと、一人が学校を休めば『えーと、今日はどちらがお休み?』と聞かなければならないほど何から何までよく似ていた。見た目も同じなら、成績もまた同じで 二年間彼らの日本語の成績は全く同じ点数(うちの高校は学期ごとの成績がパーセンテージで出される。)か、ちがっても5点差以内。頭が良くて行いもいい生徒というのはどこにでもいるが、彼らの場合 一般的にいう優等生というのとは少し違う。 二人ともクラスで一番のひょうきん者で、はめも外すが、どこで切りかえをするかを よく心得ている。どんな人にも心配りができる。 何か辛い事があっても 絶対他人にあたったり、人の責任にしたりしない。 自分の非は素直に認め、そこから学ぼうとする姿勢がある。 丁度その年、私は長女を産んだばかりだったのだが、廊下で会えば 『先生、赤ちゃんはお元気ですか?』と いうような言葉が 自然にでてくるような学生だった。彼らを知るほど『一体 どうやって育てればこういう子供に育つの?』『親にあって是非話がしたい!』と思うようになった。 私も初めての子供を産んだばかりで、子育ての一年生。子育てについていろいろ真剣に考え始めたころで、とまどうことも多かった。 そしていよいよ その日が来た。 保護者懇談会の夜、S君とK君のお母さんがやってきた。(アメリカの高校は年に二回ほど保護者懇談会があり、その日は保護者が自由に話したい子供の先生と 話す事ができる。) 第一印象は穏やかでやさしそうな人。簡単な挨拶の後、開口一番に私はこう聞いた。『それで、子育ての秘訣は何ですか?』 彼女はいきなりの質問に少し驚いたような様子だったが、その後少し微笑んで、こう答えた。 『私もね、この子たちを産んだ時はどうやって育てようかなんて 全く分からなかったの。もうパニック状態。でもね、そんなとき これに出会ったの。』 そういって、もっていたペンでノートにこう書いた。”Love and Logic”。 『ラブ エンド ロジック?』 私はつぶやいた。『そう、ラブ エンド ロジック。これを18年間実践してきたの。よかったらカセットテープかしてあげるわよ。もう何回も聞いてボロボロだけどね。』翌日、K君がお母さんから頼まれたと言って、テープをもってきてくれた。確かに 年季がはいったテープだった。テープのケースの色もほとんど色あせている。そのテープを聞き始め5分としないうちに私はその話に引込まれて行った。教育の理論を聞いているというよりも落語か何かを聞いている感じがした。頭の中にスーッと入ってくる分かりやすい言葉使い。『次はどんな話が出てくるのだろう?』とまるで推理小説を読む様にワクワクして、次のテクニックがしりたくなる。 もっと知りたいという好奇心が私をラブ エンド ロジックの世界に引込んで行った。 

2007年6月19日火曜日

感情の落とし穴ルート

日本で中学の英語教師として教壇に立ち始め、現在はアメリカの高校で日本語を教えている。10年以上にも及ぶ教師生活の間、私にはひとつだけ ほとんど成長していない分野があった。生徒指導力である。私はいつもこの事に対して劣等感を感じ、自分には教師は向いていないのではないか、と真剣に考えた時が幾度もあった。”生徒を統制してクラスをまとめることができなければ 教師として失格” そういつも考えていた。アメリカで教えるようになってからは、生徒指導も英語でしなければならないということもあって、ことさら苦手になった。今思うとどんな状況であっても、私が落ちていった落とし穴までのルートは 同じであったように思う。

感情の落とし穴ルート
学生の問題行動ー>憤慨/イライラー> ”なんとかしなきゃ” (血圧上昇のピーク)−>説教(たいてい長くなる)ー>学生が反論してくるー>それに勝てる言葉を探すー>さらに反論してくるー>決め手となる言葉が出ないー>敗北感/ストレス/挫折感

この血圧上昇のピーク時に出る英語がこれまた情けない。その時だけは英検三級の面接にのぞんだときの中三の自分にかえる思いだった。

高校教師2年目のある日、M君(当時高校2年生)が日本語のプロジェクトとして提出してきた小論文に 多数不適切な箇所を発見。 基本的に私が出したこの課題がいかにくだらないか、ということを書いただけのものだった。『完全に なめられている。。。』教師としての権威をすっかり脅かされたと感じた私のたどった道は勿論 ”感情の落とし穴ルート”。 一晩かけて考えた私の説教も結局たどたどしくまとまりがない。もっと情けないのは 私の精神状態。M君との面談中、心臓がバクバクして、落ち着くことができない。だまって私の説教を聞いていたM君。最後に『なにか いいたいことある?』と聞くと彼は一言こういった。『先生、話し長いよ。今度からは手短にしたほうがいいよ。』なんとかこのルートから脱出しなきゃ、とは思いつつ この頃はどうしていいか分からない毎日だった。