日本で中学の英語教師として教壇に立ち始め、現在はアメリカの高校で日本語を教えている。10年以上にも及ぶ教師生活の間、私にはひとつだけ ほとんど成長していない分野があった。生徒指導力である。私はいつもこの事に対して劣等感を感じ、自分には教師は向いていないのではないか、と真剣に考えた時が幾度もあった。”生徒を統制してクラスをまとめることができなければ 教師として失格” そういつも考えていた。アメリカで教えるようになってからは、生徒指導も英語でしなければならないということもあって、ことさら苦手になった。今思うとどんな状況であっても、私が落ちていった落とし穴までのルートは 同じであったように思う。
感情の落とし穴ルート
学生の問題行動ー>憤慨/イライラー> ”なんとかしなきゃ” (血圧上昇のピーク)−>説教(たいてい長くなる)ー>学生が反論してくるー>それに勝てる言葉を探すー>さらに反論してくるー>決め手となる言葉が出ないー>敗北感/ストレス/挫折感
この血圧上昇のピーク時に出る英語がこれまた情けない。その時だけは英検三級の面接にのぞんだときの中三の自分にかえる思いだった。
高校教師2年目のある日、M君(当時高校2年生)が日本語のプロジェクトとして提出してきた小論文に 多数不適切な箇所を発見。 基本的に私が出したこの課題がいかにくだらないか、ということを書いただけのものだった。『完全に なめられている。。。』教師としての権威をすっかり脅かされたと感じた私のたどった道は勿論 ”感情の落とし穴ルート”。 一晩かけて考えた私の説教も結局たどたどしくまとまりがない。もっと情けないのは 私の精神状態。M君との面談中、心臓がバクバクして、落ち着くことができない。だまって私の説教を聞いていたM君。最後に『なにか いいたいことある?』と聞くと彼は一言こういった。『先生、話し長いよ。今度からは手短にしたほうがいいよ。』なんとかこのルートから脱出しなきゃ、とは思いつつ この頃はどうしていいか分からない毎日だった。